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『星降る夜に、花束を』 第2話 「恋獄」 その4

 そして夜が訪れた。
 今回の調査隊に志願したのは、ナンを含めて総勢二十一人。
 全部で七つのチームがあることになる。彼らのベースキャンプはウテナ湖から少し離れた高台の上にあった。ここからならウテナ湖に異変があってもすぐに気付くことが出来るからだ。
 キャンプでは冒険者たちが己が冒険譚を肴に大いに盛り上がっていた。
 ナンはそれを少し離れたところからぼんやりと眺めていた。
「ご主人、あの中に入らんでええの?」
 千夏の言葉にナンは小さく首を振った。
「少し考えたいことがあるの」
 ナンの頭を占めるのは、昼に出会った女性のことだった。
 事故で死んだ恋人が何らかの原因でゾンビとして、この地をさ迷っている。それを浄化しに来たのだと女性は告げた。
 何故だろうか。胸が痛かった。まるで自分の中の思い出したくない記憶を刺激されたかのように。
 思い出すのは、ミフィのナノマシン実験で思い出した記憶の一部。
 炎に揺れる世界。辺りには血が飛び散り、そしてナンを負の感情のこもった瞳で睨みつける少女。
『許せない……』
 その少女がナンを責める。
『どうして、夏姉さまを殺したの! ノン姉さま!』
 ナンは項垂れると自分の前髪をくしゃりと握り締めた。
(どうして、こればかり思い出すんだろ……)
 少女の悲痛な叫びを思い出すたびに、胸が――心が痛くなる。
 それはナンを責めるあの少女への負い目からか。それとも失ってしまった何かのためか。
「隣、いいですかぁ? あ、これどぅぞ~」
 そこへ飲み物を両手にミシャがやって来た。
「ん、ありがと……」
 飲み物を受け取り、ナンはそれをこくっと飲み干した。
「これ、お酒?」
「はぃ~。あっちで果実酒が振舞われていたので貰ってきましたぁ」
「でも、何だか果実酒にしては味が……」
 ほの甘い後味の中にかすかな苦味が存在する。ナンの言葉にミシャは口元を綻ばせると、
「分かりましたぁ? 実はぁ、ルーン草の粉末を混ぜてるんですよー」
「ルーン草?」
「はいー。ルーン草には心を落ち着かせる効果があるので、混ぜてみましたー」
「そっか……ありがとね」
 ぼんやりしているように見えて、案外ミシャは鋭いのかもしれない。ナンはミシャへの評価を改めながら、ウテナ湖へと視線を向けた。
 夕闇の帳に包まれたウテナ湖は異変の予兆もなく、ただ寂とそこに存在している。
 今頃、あの女性はどうしているのだろうか?
 町に戻っているのか、それとも今もウテナ湖で怪異が起きるのを待っているのか。
 お酒で心が落ち着いたからなのか、次第にナンは眠気に襲われ始めた。
「ごめん、少しだけ眠るね……」
「はい~」
 何かに導かれるように、ナンはそのまま眠りへと落ちていった。


 夏姫の暗殺を命じられた『私』だが、指示が出るまでは夏姫の侍女として傍に控えることになった。
 『私』が夏姫の侍女になって、もう五日が経つ。しかしいまだに実行の指示はない。
「そろそろ時間、ね」
 誰もが寝静まる刻限。そっとあてがわれた部屋を抜け出た私は、縁側から庭へと出ると指定された場所へと向かった。そこにはキヨミツの姿があり、感情の宿らない瞳で『私』を見つめていた。
「不満そうだな」
 キヨミツの言葉に『私』は肩をすくめてみせた。
「不満はないわ。でも大まかでいいから、いつまでこんな茶番を続けるのか教えてもらいたいものね」
「茶番か……」
「ええ、茶番よ。それに、何なの、あの子。一日中、縁側に座って歌を歌ってるだけじゃない。こっちが話しかけても何も答えないし。感情らしいものも感じられない。あんなのが本当に姫なの?」
 この五日間で『私』は夏姫に何度か話しかけてみた。しかし返ってくるのはきょとんとした表情だけ。何か言葉を返すでもなく、すぐに関心をなくしたかのようにまた歌を歌い始めるのだ。
「……事情があるんだ、彼女にも」
「事情?」
 しかしそれにキヨミツは何も答えず、話は終わりだというように踵を返す。
「お前にはまだしばらく夏姫様と共に暮らしてもらう。必要なものがあれば俺に言え。可能な限りで用意してやろう」
 それだけ言うと、夜の闇に溶け込むようにキヨミツは姿を消した。
「…………いるんでしょ?」
 そしてナンは虚空に向かって囁くように呼びかけた。
 返事はない。しかし屋根から着地音すらさせず、地上へ舞い降りたのは闇色の衣装を身にまとった白髪の青年だった。右目には漆黒の眼帯をしており、残った左目が淡々と『私』を見つめ返してくる。
 彼の名前は朔。彼もまた『私』と同じく暗殺ギルドの一員であり、『私』のパートナーでもあった。実行が『私』ならば、彼は後方支援が主な活動となる。
「話は聞いてたんでしょ?」
「ああ」
「夏姫、彼女は何なの? 一国の姫にしてはこの環境は異常すぎるわ」
「彼女のことが気になるか?」
「別に。ただ、自分の立っている場所がどういう場所か知らずにいられるほど楽観的になれないだけよ。下手をしたらトカゲの尻尾切りよろしく、そのまま自分も道連れになることだってあるわけだしね」
「道理だ」
「で、あんたのことだから、もう調べ上げてるんでしょ? この国について、あと夏姫について知ってることを教えてくれないかしら?」
「……了解した」
 朔は報告書を読み上げるように、この国の実情を語り始めた。
 その内容をまとめると、こうなる。
 ヤマト。それはファーイーストからさらに東、海を渡った先にある孤島に存在する小さな国家の名前だ。周りを海に囲まれ、外国と関係を持たないヤマトは、やがて冒険者たちによって発見されるまで独自の文化を築き上げてきた。
 今でも閉鎖的な国風は変わらないものの、少しずつ貿易なども行われるようになってきている。着物や簪などといったものも全てヤマトから輸出されているものらしい。
 そんなヤマトを治めているのはフユツグという男だ。ヤマトは世襲制を原則としており、フユツグの一族は代々ヤマトを治めてきた。少々特殊だったのは、ヤマトを治めるのは男子でも女子でも構わないという制度であり、ヤマトは時に王を、時に女王を戴いてきた。
「そこまでは私も知ってるわ。夏姫はフユツグの娘なんでしょう?」
「ああ」
 そこが『私』には分からなかった。ヤマトを継ぐ資格を持つ姫をどうしてこんな環境に置いているのか。
「フユツグはとても優れた統治者らしいな。民の声をよく聞き、政治を治めている。事実、彼の即位後今まで国内で大きな争いが起きたことなど一度としてない。だがそんなフユツグにも欠点が一つあった」
「欠点?」
「ああ、フユツグが生まれつきの虚弱体質らしく、子供を作ることさえ難しいと言われていた。世継ぎ問題も囁かれていたそうだが、やがて紅姫を妻に迎え、その間に子供が生まれる」
「それが夏姫ね」
 しかし朔は首を振ると、意外な言葉を口にした。
「いや、フユツグと紅姫の間に出来た子供は吹雪。夏姫はフユツグと妾との間に生まれた子供だ」
「……妾? 愛人ってこと?」
「ああ。紅姫を迎える前、フユツグは周囲に内密で関係を持った女性が一人いたらしい。彼女の名前は香。香はフユツグの身の回りの世話をする侍女の一人だった。そして紅姫が身篭ったのと同時に、彼女もまたフユツグの子を身篭ってしまった」
「なるほど。少しずつ分かってきたわ」
 紅姫が夏姫のことを忌み嫌っていた理由。そして夏姫を暗殺してくれという依頼。不明瞭だった点が一つの線へと結ばれていく。
「香は子供を出産。生まれた子供の名前は夏と名付けられた。香は夏の存在がフユツグの立場を悪くすることを危惧し、夏を連れて国を出ようとした。しかしフユツグは香と夏を手放すことが出来ず、隠れ屋敷に隠遁させることにしたらしい」
「ここがその隠れ屋敷ってことね。ん? でもおかしいわ。フユツグは香と夏をこの屋敷に住まわせることにしたんでしょ? でもここには夏しかいないわよ?」
「ああ。フユツグはそれらのことを内密に行おうとしたらしいが、どこからか夏の存在が紅姫の耳に入ったらしい。夏は吹雪より先に生まれているからな。このままでは夏が――妾の子がヤマトを継ぐのではないか。紅姫はそんな事態を危惧し、フユツグに香と夏を死罪にするよう献上した。しかしフユツグは首を縦には振らず、夏を自分の跡取りとすることはないと断言した」
「優しすぎるというのも問題ね。本人にそのつもりがなくとも、夏の存在を利用したがる連中はいくらでもいるでしょうに」
「そうだ。紅姫は夏の存在が自分の娘である吹雪の女王即位の障害になることを危惧した。今回の夏姫暗殺はそういう背景を下に依頼されている。香はこの屋敷へ来る途中に病死したと記録にはあるが、恐らくは紅姫の仕業だろうな」
「なるほどね。でもどうして紅姫は夏の暗殺を私たちに依頼してきたのかしら。既に香を殺しているのだから、夏も同じでしょうに」
「そこはまだ分からん。引き続き、調べてみることにしよう。だが夏の暗殺指令が下るのはまだ先のことだと思う。分かっているとは思うが」
「ええ、感情移入なんてしないわよ。それがどれだけ愚かなことか、今まで嫌と言うほど見てきたんだから」
 朔は小さく頷くと、跳躍。そのまま屋根の上へと姿を消した。
「夏姫、か」
 同情はしない。そんな感情は既に捨て去った。夏姫のことが知りたいと思ったのも、任務のためだ。だから時が来れば、きっと『私』は夏姫を殺す。殺せる。
 そう、このときはそう思っていたのだ。
 だけど……

「おい、起きろっ!」
 剣呑な声にハッと目を覚ますと、キャンプでは大きな騒ぎが起きていた。
 辺りは日が沈み、宵闇に包まれている。焚き火に照らされるほの暗い視界の中で、幾人もの冒険者が忙しなく駆け回っている。
「怪異が起きたぞ。さっさと準備しろ」
 既に武装を整えたカイトの声に、ナンはウテナ湖を見やる。
 先ほどまでは静寂を携えてそこに存在していた湖。しかし今や、その湖一面は白いもやのようなものに覆い包まれ、禍々しさと不吉さを孕んだ空気を周囲に撒き散らしていた。
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